ライフワーク

私にとってのライフワークとは、音響機器を使って音楽を再生することです。20代の前半からですから、40年になります。自分の自由な時間の非常に多くの部分をこれに費やしてきました。目的は音楽を楽しみたい、そのことだけです。

単純な時間だけを考えると音楽を聴いた時間のほうがはるかに多いのですが、音楽を聴くという行為が受動的なのに対し、音響機器をいじることは必ず何らかの働きかけを必要とする積極的な行為です。それによって、非常に多くのものを手に入れてきました。そして肝心な再生される音楽は、機械のことを全く考える必要のない、純粋に音楽だけを楽しめるところまで来たと思います。しかしここがけっして最高地点でないのも分かりますし、最高地点が尖った1つのピークでは無いけれど、ここよりはるかに高い点が数多く存在しその一つ一つを登るのが非常に困難なこともわかってきました。これからその高みの一つ二つは挑戦しようと思っていますが、その他の多くは市販されていても非常に高価なものが必要だったり、市販されておらず入手が困難なものや作るとしても非常に高度な技術必要とか、更に信じられないほどの経費(100万円単位は普通で億単位以上になることも…)が発生するといったことがわかってきました。

音とか味などの感覚を言葉や文字で表現すると非常に誤解が起きやすいので、「聴いてください。」とか「飲んでください。」としか言いようがないのですが、例えば、音響機器にほとんど興味を示さない音楽の好きな方が、実演で受け取る印象にかなり接近できるシカケの作り方が分かってきました。非常に安価にできます。具体的な方法、キーポイントはこれから少しずつ書いていきます。

そしてこのシカケをどうやって作ったのかのほんのさわりというか、これから書いていくことの項目について思いつくだけ上げていきます。あくまで思いつきなので。具体的なタイトルになるかは今は分かりません。

 

音は音楽でしかわからない

いわゆる音の良し悪しの最終的な判断は音楽を聴くことでしかできないということ。例えばスピーカーの周波数特性は足の早さを身長体重で表しているようなもので、ある条件が揃えば参考にできるが、それ以上のものではない。

 

必ず自分で確認する

他人の話を聞いたり、記事を読んでいて知ったつもり感じたつもりになることは必ず事故を起こします。必ず確認してから使います。

 

 

己の感覚を信じ磨く

上と関連しますが、誤っている「常識」は非常に多いです。

これは大変な困難を伴い苦痛を強いられることがあります。あることをある目的で変えたとします。目的が達成されているかどうか。そもそもその目的に意味があったのか。聴こえてくる音楽のどちらが正しいのか。好きか嫌いかの判断ではありません。良し悪し、正誤の判断です。

 

分かることしか評価できないということ

これも上とも関連しますが、音楽を深く知らなければ結局音もわからないということ。更に楽器の発音機構とかメカニズムなど様々なことを知っていないと正しく評価できないことがあります。

 

感覚の評価は単純に

コーヒーの味でもそうですがあるなしが一番です。音の場合は聴こえるか聴こえないか、早いか遅いかとか具体的な方が良いけれど自分にとって分かりやすいなら抽象的な項目でも構わない。例えば、そわそわする、背中がむず痒い、のように具体的な現象を表す言葉が無いときは使います。

 

感覚は相対的であるということ

よく真空管のアンプの音を柔らかい音色とか表現する方がいます。硬い音がより硬く表現されてこそ柔らかい音が生きるのであって、柔らかいだけのアンプなんて私はいりません。今はテレビをほとんど見ませんが、食べ歩きの番組で肉を食べて「柔らかーーい」としか言わないレポーターを見るたび、最高の食事は介護食ですかと悪態をつきたくなります。

 

音色は結果

音色を追っていくのは勘違いの原因になります。例えばコンサートなどで聴いた音色に近い音色で聴こえたとしても、CD・レコードなどにその音色がどのように入っているのか全く分かりません。会場の音響効果、マイクの種類・位置など音色が変わる要素は多数存在します。音楽が正しく表現されてこそ音色が生きてきます。まず音楽が正しく表現されることこそ重要です。

 

スピーカーは楽器ですが…

よくスピーカーは楽器だと言われます。だからスピーカーを変えれば音が変わります。そういう意味で言うと、スピーカー以外のものを換えても音が変わります。音響機器は全て楽器かもしれません。

私が聴くと、楽器以上のことをするスピーカーが多くてそれが困るのです。楽器以上とは、音楽そのものを変えてしまうことです。それもけっして良い方には変えてくれません。ゆったりと聴こえるものがせっかちになったり、ハーモニーの構造が変わったり、音が無くなったりと様々な変化があります。私は、これらを変化のあるものまとめて不良品と呼びます。

残念ですが市販のスピーカーシステムの大部分が不良品です。誇張は全くありません。私が自作のスピーカーを使っているのもこれが原因ですし、更に今まで続けてきたのもこのことが大きな要素です。

具体には書きませんが、このことを知っているメーカーは多いはずです。明らかに確信犯と思われるところも何社かあります。どうしてそうしているかは簡単に説明がつきます。あくまで推論ですし、特定メーカーを名指ししようとも思いません。私ごときでも簡単に分かることが毎日スピーカーの研究を続けておられる方に発見できないはずは絶対ありません。

 

 

 

 

現時点でのノウハウの提供は誰にでもします。基本的には無料です。製作が必要な場合のお手伝いもします。木工、金属加工などの技術をお持ちの方は特に大歓迎です。コーヒーの豆を買っていただけたら、最高ですがそれは必須ではありません。できる限り多くの方に楽しく音楽を聴いていただければ良いだけです。

今の地点から更に高みを目指す方へ私が今持っているあらゆるものを受け取っていただきたいとの思いもあります。

書き始めるとあれもこれもで、まだまだ書き足りないような気がしていますが、具体的なことを少しずつ書き進めることでそれらのことを拾い上げることができるはずです。

 

言いたい放題はますます続きます     たぶん

 

 

 

kick について

kick 時々 moct どちらも名前のもじりです。kick は姓からですし、moct の方は名前の音読み+αです。 kicktickは要するに私のようにということで、基本きまぐれ、思いつき、言いたい放題、まれに真面目といことです。 メールアドレス  moctアットマークkickcoffee.org
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ライフワーク への1件のフィードバック

  1. Jiro のコメント:

    「音色は結果」「音楽が正しく表現されてこそ音色が生きてくる」スパッとおっしゃられて、嬉しい気分です。
    あの機器は「無色透明」である、といっても、無色透明という音色のことを言ってるようにしか思えません。
    音が良い悪いという前に、ちゃんと音を録って欲しいとという思いは、自分で録音をするようになって感じていたことでした。
    ワンポイントマイクの録音ですら、10cmもマイクを動かせば音が変わります。消える音、聞こえる音が変わります。
    これは感覚的なものではなく「物理学」です。
    これを無視してマルチマイクで録った音楽は「音色」は良くても「音楽」は失われてしまいます。だから音作りが必要になると思います。
    これからも楽しみにしています!

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